27日(土) 午前10時より、緊急事態宣言明日解除される中、第73回 高等学校卒業式を行いました。
昨年同様、本校体育館において、式次第に則り、卒業証書授与や各表彰は、代表生徒1名による呼名とし、時間を極力短縮して実施しました。
以下は校長式辞の内容です。
「中国の古典、四書・五経の『書経』に、「皇天は親(しん)なし。ただ徳これを輔(たす)く」と言う一説があります。
天は人を選んで親しくしたりしない。
ただ徳のある人を助けるとあります。
また、『老子』の中にも「天道は親なし。常に善人に与(くみ)す」
という言葉があります。東洋の古典は一致して運と徳は相関していると説いています。
その人が持っている、あるいは培ってきた徳に応じて、人はそれにふさわしい運命に出逢っていくと教えています。
卒業生の皆さんが社会に巣立ち、社会に貢献するには、後、しばらく先のことになりますが、同時に、人格形成いわゆる徳を高める努力をし社会に巣立っていって下さい。
ではどうすれば、徳を高くすることができるのでしょう。
そこに至る道を示した言葉が、『論語』にあります。
「事を先にし、得(う)るを後にするは、徳を崇(たか)くするに非ずや。
その悪を攻めて人の悪を攻むることなきは、慝(とく)を修むるに非ずや」
とあります。もう一度、ゆっくり言います。
「事を先にし、得(う)るを後にするは、徳を崇(たか)くするに非ずや。」
まずやるべきことをやりましょう。
それによってどんなことが得られるかを考えるのは後回しにしましょう。
それが徳を高めることになりますよ。
そして、
「その悪を攻めて人の悪を攻むることなきは、慝(とく)を修むるに非ずや」
ここでの「慝(とく)」とは、損得の得や徳川家康の徳ではありません。
北区とか住吉区の区、カタカナのメのかわりに若いを書いて、下に心を書きます。かくす、わるい、わざわいという意味があります。
これは、自分のよくないところを攻めて、人のよくないところは攻めない。
それが自分の中に潜んでいる悪を修めていくことになると書かれています。
また、『易経』にも「身に反(かえ)りて徳を修む」とあり、徳を修める上での心得を説いています。
困難に遭う、失敗する。そういう時は自分に原因がないかを反省する。
それが徳を修めることになるということです。
本校の前身、関西商工学校で学ばれたパナソニックの創業者松下幸之助氏は、この言葉を生涯実践した人です。
幸之助氏は、「ぼくは物事がうまくいった時は皆のおかげ、うまくいかなかった時は、すべて自分の責任と思っていた」と言われています。
この言葉の実践と反復から経営の神様と呼ばれる氏の徳は生まれ高まっていったと思われます。
ただ、反対に、徳を高めるには徳を損なう道があることも知っておかなければなりません。『孟子』の言葉には、「自ら暴(そこな)う者はともに言うあるベからざるなり。自ら棄つる者はともに為すあるベからざるなり」とあり、やけくそになる者、捨て鉢になる者、これらの者は共に為すことはできないとあり、自暴自棄になる時、運命は坂道を転げ落ちるように悪くなるとあります。
では、徳を高めるにはどうすれば良いでしょうか。
それは与えられた環境の中で運命を呪わず、不平不満をいわず、最高最善の努力をすること。
仕事のジャンルを越えて一流といわれた人たちはこの一点で共通しています。徳を高めることによって、運も開かれてくるのです。運と徳を高める根幹がそこにあります。
コロナ禍の中、卒業生の皆さんには、新校舎建設に際し、多々、迷惑をかけました。文化祭や体育祭も形を変えました。今後、皆さんの将来は、何かにつけ、「コロナ世代」といわれるでしょう。そして、変化に強くなる事が求められていくことになります。これは起業家の精神、アントレプレナーシップの精神ともむすびつきます。変化に強くなるためにも、人として、高いこころざしを持ち、人格・徳を高めていくことを実践して下さい。
卒業生の皆さんは、人格形成のまっただ中にいます。
人としてどう生きるべきか。どうあるべきか。
どんな環境でもくじけること無く、自己研鑽をつみつつ、社会に貢献すべく、これからの人生を歩んでください。
四百五十七名の卒業生の皆さん、ご卒業おめでとう。
以上、第七十三回関西大倉高等学校卒業式式辞とさせていただきます。
2021年(令和3)年2月27日
関西大倉高等学校 学校長 古 川 英 明