2020年度3学期終業式講話

2021/3/22

例年にくらべ10日~2週間早く桜の開花宣言が出されました。

サクラの語源は13種類もあるそうで、桜の霊のコノハナサクヤ姫を由来とする説や、咲き群がるが約されたことに由来とする説もあるとのことです。
さて、一昨年末、中国武漢を起源にした新型コロナも、終息することなく1年半ちかく経過しました。昨年お話しましたように、100年前のスペイン風邪も終息するのに3年かかっています。ワクチンの接種も始まっていますが、感染対策については、今後もそのまま継続することになりそうですので、自分の身は自分で守る、自己管理の徹底と協力をお願いします。

このような中、今年度も終わりを迎えようとしています。そこで、この一年を振りかえってみてください。

緊急事態宣言発出による二か月間の休校の後、段階的な時差登校を行いましたが、1学期の中間考査は中止、8月に期末考査が行われ、文化祭・体育祭・各宿泊行事も形をかえました。
新学期、四月以降も、不確定なところもありますが、完全に元に戻ることはありません。
それでも、一日一日進んでいきますので、しっかり感染対策をとりつつ、勉学に励んで下さい。

さて、
Where there’s a will, there’s a way.
「意志あるところに道はある」ということばがあります。

「意志あるところに道は開ける」
この言葉はアメリカ合衆国第16代大統領リンカーンの言葉です。
奴隷解放宣言や「人民の、人民による、人民のための政治」は聞いたことがあると思います。南北戦争による国家分裂の危機を乗り越えたことなどが評価され、最も偉大な大統領とも言われています。ただ、南北戦争終結直前の1865年に演劇鑑賞中にリンカーン大統領は暗殺されました。
この「意志あるところに道は開ける」ということばは、どんなに困難な道でもそれをやり遂げる意志さえあれば必ず道は開けるという希望と勇気が湧く言葉です。
足を踏み出すことをためらっている時、困難にぶつかって折れかけている時、思い出したい言葉ですので、記憶の中にしまっておいてもらえたらと思います。苦しいときこそ、夢と希望を失ってならないのです。苦しい時だからこそ明るく前向きに。自分の未来にはバラ色の幸運が待ち受けている。そう信じることが重要です。

この言葉と関連する文章を松下幸之助氏が残しています。

最後に松下幸之助氏の著書『道をひらく』から「道」を放送部員に読んで貰い終わりたいと思います。

自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。
どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。
自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。
広い時もある。狭いときもある。
のぼりもあれば、くだりもある。
坦々とした時もあれば、かきわけかきわけ汗する時もある。
この道が果たして良いのか悪いのか、思案にあまる時もあろう。
なぐさめを求めたくなるときもあろう。
しかし、所詮はこの道しかないのではないか。

あきらめろというのではない。今立っているこの道、今歩んでいるこの道、ともかくもこの道を休まず歩むことである。自分だけしか歩めない大事な道ではないか。自分だけに与えられているかけがえのないこの道ではないか。
他人の道に心を奪われ、思案にくれてたちすくんでいても、道は少しも開ひらけない。道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。心を定め、懸命に歩まねばならぬ。
それが、たとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道が開けてくる。深い喜びも生まれてくる。
天災地変をまつまでもなく、粒々辛苦の巨万の富も、事あらば一朝にして失われてしまうことがしばしばある。形あるものいつかは滅びるにしても、誠にはかない姿であるといえよう。

だがしかし、身についた技とか習性とかは、これは生あるかぎり失われはしない。たよりになるのは、やはり自分の身についた技、身についた習性。
だから、何か一つでもいいから、よき技、よき習性を身につけたいものである。なかでもいわゆる勤勉の習性は、何にもまして尊いものに思われる。
勤勉は喜びを生み、信用を生み、そして富を生む。人間のいわば一つの大事な徳である。徳であるかぎり、これを積むには不断の努力がいる。
相撲に強くなるためには、不断に真剣な稽古を積まねばならないように、勤勉の習性を身につけるためには、まず日々を勤勉につとめる努力がいるのである。その努力が重なって勤勉の習性が身につき、その習性からはじめて徳が生まれてくる。
おたがいに勤勉の徳を積みたいものである。

何をするにつけても勤勉に励み、勤めること。勉強もスポーツも同じです。
まじめに、真剣に、高い目標を持って取り組むことが大切です。

一年間、ありがとう。
新学期あいましょう。終わります。

学校長