中学朝礼を行いました。

2021/5/08

講話「盲亀浮木の譬え」

前回の中学朝礼でもふれましたが、「ありがとう」を漢字にすると「有ることが難しい」。つまり、有り難いこと、めったにないこと=奇跡的という意味があることを話しました。

 孔子には孔門十哲、松尾芭蕉にも蕉門十哲といわれる門人達がいるように、釈迦、ブッダにも十大弟子といわれる弟子達がいます。その中に阿難という弟子との会話が伝わっています。
ある時、お釈迦様がその阿難という弟子に、人間に生まれたことをどれくらい喜んでいるかと尋ねました。阿難が答えに窮していると、お釈迦様は、次のような譬え話をしました。
「果てしなく広がる海の底に、目の見えない一匹の亀がいる。その亀は、百年に一度、海面に顔を出すという。
また、広い海には一本の丸太が浮いていて、その丸太の真ん中には小さな穴がある。丸太は、風に吹かれるまま、波に揺られるまま、西へ東へ、南へ北へと漂っている。阿難よ、百年に一度浮かび上がるその目の見えない亀が、浮かび上がった拍子に、丸太の穴に、ひょいっと頭を入れることがあると思うか」と問いかけます。

「生徒の皆さんはどう考えますか。」
釈迦は「阿難よ、私たちが人間に生まれることは、その眼が見えない亀が、丸太棒の穴に首を入れることよりも、難しいことなのだ。有り難いことなのだ」と教えたのだそうです。

私たちは人間として生まれてきたことを当たり前のように思って生きていますが、遺伝学者の木村資生氏によると、人間に限らず、生物の細胞一個の誕生は「一億円の宝くじに百万回連続して当たるほどすごいことである」と言っています。それは、まさしく「有り難い」ことなのです。

日本語の「ありがとう」は、生まれてきたことに感謝を表す言葉なのです。
貧乏であろうが、病気であろうが、運が悪かろうが、どんな状態であっても、生まれてきた限りはありがとう。そんな意味を持つ言葉なのです。